朝、毎朝、外で珈琲を飲んでいる。それは、とてもあたたかでゆるやかでときほぐされる時間になりつつある。本を読むペースがおそいので全然思うように読めていないけれど、最近読んでよかったのは、『窓際のトットちゃん』と『対岸の彼女』そして『左岸』。左岸と右岸を二冊同時に買ったものの、江國香織贔屓なので、左岸から読んだ。(サガンと発音するたび、作家のサガンを思い浮かべてしまう。)
少しの間外国に住んでいたからか、外国に関する描写がよりいっそう心に入ってくる。『冷静と情熱のあいだ』も今読むともっとぐっと身近なものに思えるのかもしれない。江國さんの本に登場する多くの人物たちは、現実の煩わしい物事からほんの少し遠いところにいる。わたし自身、あの頃より、現実に苦しめられず生きる術が少しずつ身に付きつつある。だから、歳をとって、江國さんの本をきらいになるどころか、違った見方ですきになってきている。それは必ずしもよいことではないのかもしれないけれど、しばらくはこういう感じに生きていくのだろうなと思う。
今日、酷い!と大声で叫びたい出来事があったのだけど、そういう気持ちでいるからか、すうっと怒りが静まった。明日の朝、またあのカフェで珈琲を飲めばわたしは無敵だ。誰かの快くない干渉さえも、笑ってふわりと躱せるような気がする。
「チョウゼンとしていればいい」
その言葉を心の中で小さく反芻するの。