ことばのふしぎについて
感情や気持ちを表現するときに、日本語でない言葉を思うときがある。例えばスペイン語にはmolestarという単語があって、辞書をひくと、[1.邪魔をする,迷惑をかける 2.不快にする,調子を狂わす,立腹させる 3.軽い痛みを与える]等という訳が載っている。つまりは、気分を害するということなのだけど、なぜかそういう出来事に遭遇すると、不快だとか、気分を害するというよりは、molestarという単語を思い浮かべ、わたしの知り得るどの日本語より、それがぴったりな気がしてしまう。英語なら、wonderもそうだ。なにか、不思議だとかすごいという感情が沸き上がるとき、どの言葉より、wonderがぴったりだと思うときがある。
わたしはどちらの言語についてもちゃんと話せるわけではないのに、この感覚はなんなのだろうと、ずっと思っていたのだけど、今日少しわかったような気がした。
それは、捉えようもない感情なのではないかと思う。感情は大まかに分けることはできても、たったひとことで言い表すことは難しい。常にいろんな感情が渦巻いている。日本語であれば、たくさんの言葉を書き連るか、言葉を見つけることができず途方に暮れるか、どちらかしかない。そんなとき、外国語であれば、複雑だったり言葉にならないような感情をうまく表現してくれているような気持ちになれる。未知で空白な部分、訳の遊びの部分に、託すことで。