去年の春に旅立った男ともだちから葉書が届いた。彼が旅立つ前、わたしはあんなに酷いことを言ったのに、それでもなお、変わらずこうやって葉書を送ってくれることにおどろく。旅の途中である彼にとってはもう、大きなことではなくなっているのかもしれないけれど。
葉書にはこうあった。「キャメルサファリしてきた。凄いね砂漠とラクダって。かなりシンプル。砂丘で満月を見ることが出来た。ふるえた。心の中に砂漠を取り込み、日本へ帰る。砂漠の砂は記憶を持ったまましずかに眠っているように感じた。砂は何も必要としていない様子やった。それがとても気に入った。」
人はいつか別れる運命にあるし、新しい人との出会いはたくさんあるとわかっているのに、男ともだちと話をしたいと、思った。去年の冬、静かなサハラをラクダに乗っても何時間も揺られたときのこと、砂漠の夜の月と☆のこと、眠るときに聞こえた風の音、砂漠の中の静けさや孤独や解き放たれた感情や感覚のことを思い出した。
この先も、わたしはきっと感情や感覚を分かち合える誰かと出会えると思う。でもそれは、決して多くはないことだけはわかる。